みんな違う人生を生きている。
人は、すべてが違う人生を生きていきます。
似ているようでいても、一つも同じ人生はありません。
さまざまな人生に触れさせていただくにつれ、また、インターネット上に溢れる人たちの情報に触れるにつれ、その“人生”について考えることが多くなりました。
これは、性分かもしれませんし、仕事柄なのかもしれないですねぇ。
私は、小学生の頃から、人の死について考えるような子どもでした。
なぜ人は死ぬのだろう、どうして生きているのだろう、なんのために生きているのだろう。
こうやって、文字にしてみると、子どもが考える内容ではないですね。
変わった子だったかもしれないです。(笑)
この世を去る(還る)
私たちは必ずいつかこの世を去る(もといた世界に還る)ときが来ます。
嫌だなぁ、なんて思うこともあります。
この人生をどう生きて、どう去ったらいいんだろう。
このことは、いまだに考えています。
何のために生きているのか。
スピリチュアル的には《肉体を持ってさまざまな経験をし、愛を覚え、魂を磨き、成長していくため》なんて、私もいつも申し上げていますし、それはそうなんですけれども、それだけじゃない、ここで生きて、一日、一瞬を過ごすことに、もっと深いものがあると思えてならないんです。
そんななか、ごく最近は、その“去り方”なんていうことを考えることが多くなりました。
終活なんて言いますけれども、そんなことじゃないんです。
もっと生ききる、学びきる、そのためにどうするのか、といったような、そんな感じでしょうか。
“去る”の先にあるもの
“去る”の、その先にあるのは、考えれば考えるほど、死に方ではなくて、生き方なんだと思うようになったのです。
よく人が考えるのは、「この世で何かを成し遂げたい」、「名前を残したい」、などといった、生きた証につながるようなことなのかもしれません。でも、私はそこではないのです。
何かを成し遂げなくても、名前が残らなくてもいいんです。
そもそも宇宙から見れば、存在自体が見えないほど小さな人生です。
この世で何をするのか、どう生きるのか。
その答えはこんな歳になってもまだ分かりませんけれど、今この一瞬一瞬を、やっぱり魂が望むほう(道)へ全力で向かう、そんな人生を求めているのでしょうねぇ。
魂が望む道に向かうために
この一瞬で魂が望む道に全力で向かうために、何をしたらいいのでしょうか。
それは、《今、自分ができる範囲》で、胸の奥でやりたいと求めることを、すぐにパッとしてあげること。
そんなことなのかもしれません。
小さい頃は、やっていたと思うんです。
やりたい、と思ったらやっていた。
そのすべてが必然で、実は、この人生のお役目に1ミリの無駄なくつながっていた。
生きる経験になった。
次にどうなるかわからない、そんなふうに不安に思ったり、悲観的に考えたりするのではなくて、いつ、何が起ころうと、いつも自分が《それがいい》と思える一瞬を生きていられたら、それが自分にとっての道で、良い人生なのだろうと思うんです。
いつも自分に尋ねます。
今何をしたいのかと。
自分が笑顔になれること、気分が良くなれること、心がワクワクしたりウキウキしたりすることを叶えてあげる。その道がいくつも、そしていつもあります。
もし、あなたが今、とても苦しくて、闇の中にいるような気持ちになっていても、その傍らに光は必ずあって、その先に笑顔になれる未来が必ずつながっています。
だって私たちの魂は、その光(愛)をいっぱい輝かせるために、この地球に転生して来ているのですから。
《この人生、宇宙さんに委ねて生きてみませんか。》
私は自分にこんなふうに問いかけます。
優越感や劣等感を持ったり、人と比較したくなったり、私だけが不幸だと思えたり、そんなこともあると思うんです。
それもあって当たり前です。
それでこその“人間”ですし、そして、それも、そのすべてが《順調な学び》なんです。
いろんなものを手放して、宇宙さんに委ねてみよう。
これは、他力本願とは違うんです。
自分は幸せになるために生まれてきた。
私は私の人生を、自分が主役となって生きていく。
そう信じて、自分や人を大切に、笑顔でいること、
一瞬一瞬を一生懸命生きることなんです。
その先に、私らしい“去り方”なんていうものも、きっと見えてくるのだと思うんです。
最近考えていること、を書いてしまいました。(笑)
今日も最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
明日も良き日になりますよ。
心から応援しておりますね。
今日も幸せです。
すべてに感謝します。
スピリチュアルカウンセラー・癒しびと
林 真弓子