どうかなっちゃうほど可愛い、らしい。
先日、電車に乗っておりましたら、中学生ぐらいの男の子と母親が乗ってきたのです。
私は座っていたのですが、母親は近くに空席を見つけて座って隣の席を指さして息子さんに言ったのです。
「ねえねえ、ここ、座れるわよ。」
すると、息子さんは、真顔で「いいよ。」と言って座らずにドアの近くで母親に背を向けて立っています。
実はその席は、優先席だったのですね。
息子さんは、座りづらかったのかもしれません。
そうなんでしょうねぇ…。
そのとき、私の中に母親の感情が入ってきました。
「ちょっと淋しい。」
親は自分の子どものことは、いつまでも子どもだと思いますね。
ですが、子どもはどんどん育っていきます。
気が付けば、自分でいろんなことを判断して、自分なりに行動しています。
私は娘が2人いるのですが、子どもが小さい頃に男の子を持つママ友がよく言っていたのを思い出しました。それは、女の子の母親にはわからない感情なのではないかと思うんです。
「男の子は可愛くてしょうがない!もう、食べてしまいたい。(笑)」
可愛いと言えば、小さい子どもは何もかも小さいですのでとっても可愛いですね。もちろん、ときには心がどうかなっちゃうほどイライラすることもありますけれども(笑)、“悪魔の二歳児”ですら、寝ている時にはリセットされる、そんなフシギな可愛さがあります。
これが、男の子は格別なんだそうですねぇ。
これは、誰でもというわけではないと思いますが、当時、男の子のママの多くはそうおっしゃっていました。
可愛くてしょうがないと。食べてしまいたいと。
そんなものなのねぇ~、と、私、こっそり呟いていたものです。
そして、男の子と女の子の両方のお子さんがいらっしゃる方も、男の子はなぜか可愛くて、自分がどうかなりそうになる(笑)とおっしゃっていたんです。
自分の後をママ、ママ、と、健気に付いてくる、素直だ、というのですね。
女の子はまあ、早々にマセてきますので(笑)、小学校高学年にもなりますと、ママとのバトルも半端ないものになってきます。
これは、当時、学校の保護者会でも「娘さんとのバトルが始まりますので、しっかりと覚悟してくださいね。」と言われまして、覚悟したことを思い出します。(笑)
そんな可愛い男の子が、顔色も変えずに「いいよ。」と言って母の“親切心”にそっけなく答える、目も合わせないわけで、これは母は結構淋しいのではないかと思ったわけです。
子どもは生まれたときが別れの始まり。
子どもは、生まれたときが別れのはじまり、なんていいますね。
本当にそうなんです。
生まれた瞬間から、一瞬一瞬、ちょっと前までできていなかったことが、どんどんできるようになっていくのですね。
お腹の中に宿った魂は自分の分身のように感じた、そして生まれたときには、自分がいなければ生きていけない小さな命だった。その小さな子が、一瞬一瞬で一つひとつ、親がいなくてもできるようになって、親から離れていきます。
そして、私たち自身も、そうやって育ってきました。
親とバトルを繰り広げながら。(笑)
子どもとのバトルのとき(笑)、イライラしたとき、ですね、この生まれたときのことを思い出すと、ちょっと優しくなれます。
そこに生きていてくれるだけで良かった。
何かできなくても、そこにいるだけで有難かった。
いろいろありますけれども、子どもが生まれたとき、そんな一瞬があった、かもしれません。
子どもが育つと、親の目線で、「このくらい、もうできるだろう」と判断して、「あれができない」「これができない」と、つい文句を言うようになってしまいがちですね(笑)。
こんな文句も含めて、この子どもの存在も、子どもが一瞬一瞬で学んでどんどん大きくなることも、あんなことやこんなことができないことも、すべてが親を育てる問題集として与えられています。
そして自分もまた、そうやって両親に問題集を与え、また、与えてもらいながら大人になってきたのですね。
「早くやりなさい!」なんて口やかましく言われながら、ですねぇ。(笑)
なんだかとりとめもなく書いておりましたら長くなっちゃいました。(笑)
この続きは、また…!
今日も幸せです。
すべてに感謝します。
スピリチュアリティカウンセラー・癒しびと
林 真弓子