「一緒に帰ろう。」
そう、インターホンのチャイムを鳴らしたのは、やっぱり他界した叔父だったのです。
叔父が亡くなったという電話が入った日、その電話の少し前に、母はひとりでリビングにいたのだそうです。
そのとき、不具合で外していて、そもそも鳴るはずのない玄関のチャイムが2回、元気に鳴った、というお話でした。
お葬式が終わって、2、3日が経った日、叔父の奥様(叔母)から葬儀へのお礼のお電話が母宛てにあったのだそうです。
そのとき、叔母は、こんなことを言っていたというのです。
叔母「お父さん(叔父)が亡くなる前に、うわごとのように何度も何度も「今、柏にいるから、早く一緒に帰ろう、今、柏にいるから、早く一緒に帰ろう……、」って言っていたの。」
柏、というのは、私の実家なのですね。叔父は、よく、叔父の兄夫婦(私の父母)がいるこの実家のことを“柏”と呼んでいたのです。ですので、我が家に来られるときには、「柏に行く」と言い、私の父のことは「柏の兄貴」と呼んでいたのです。叔父は5人兄弟の末っ子だったので、お兄さんがたくさんいたのですねぇ。それで、場所を付けて呼んでいたのです。
その頃、母は実家(柏)で、インターホンのチャイムを聞いたのです。
やはり、叔父が来ていたんだ。
はっきりとそう伝わってきました。
そして、叔父がずいぶん前に私に言っていた言葉を思い出しました。
叔父「俺がいつか死んだら、葬式や墓に来てくれよ。寂しいからさ。」
私「今から何言ってるんですか(笑)、でも大丈夫です。行きますよ。^^」
そして、そのとおりに私が母の代わりにお葬式に参列することになりました。
そのお葬式から帰ってソファに座った瞬間に、鳴るはずのないインターホンのチャイムが鳴ったのです。
母から、叔母が言っていた言葉を聞いたとき、(来てくれて、ありがとうな。)と叔父の笑顔と独特な波動とともに、そんな声が入ってきました。
この世を去られた方は、さまざまな方法でその存在を知らせてくれます。
そして何かを伝えようとしてくれるようです。
エネルギーを感じる。
このほかにも、母方の叔父(母の兄)が他界したときにも、ご葬儀の帰りの車の中で、車を運転する母と隣に座る私の間をふっと何かが通ったのが分かりました。
そのとき、母も私も同時にそれを感じまして、思わず目を合わせて、
「今、何か通ったよね。」
と、声を合わせて言ったのを覚えています。
穏やかな、温かい存在を同時に感じ、やはり、(大変だったな、ありがとう。)という声を聴いたのです。
叔父は、お葬式の最中にもさまざまな形でメッセージを届けてくれていました。
それは、みんなに分るような、“パチン、パチン!”という軽い、軽快な音でした。
1回ではなく、何度も何度もです。
そのとき、私の目には、棺に軽く腰掛けるようにしている叔父の姿が見えました。
この音は、そのときそこにいた親戚がみんな聴いていて、後で集まって食事をしたときに、
「あのとき、こんな音を聴いたんだ。」
「そうそう、私も聴いたわ。」
と、口をそろえてみんなで話しました。
生前から親戚を家に集めてはバーベキューをしたり、家から見える花火を見たりと、みんなが集まって楽しく過ごす時間をつくって、それをニコニコ眺めているような叔父でしたので、ここでみんなが集まっていることに、お礼のメッセージを伝えたかったのだと思います。
そのときは穏やかな、とても気持ちの良い時間が流れていました。
高次の存在のメッセージ
この世を去られた方の場合はそのような感じですけれども、実は、別の機会ですが、教会でも同じようなことがあったことを思い出しました。
いつか記事に書いたかな…?
これは、高次の存在ですねぇ。
子どもの学校の関係で教会に訪れたことがあったのですが、そこでお友達のママと礼拝が始まるのを待っていたときのこと。
やはり、私とお友達のママとの間を、前から後ろにふっと通り過ぎた存在がいました。
そのときもまた、2人が一緒に、顔を見合わせることになったのです。
(今、何か通ったよね。)
教会の中で静かな厳粛な雰囲気の中、室内でみんな静かに座っていましたので、周りには風の起きるようなものはなく、人が動いてどうこうした、ということもありませんでした。
確かに何かが通ったのです。
とても穏やかであたたかで、安心できるようなエネルギーでした。
(よく来ましたね。)
そんなイメージが伝わったのを今でもはっきりと覚えています。
不思議は普通に起きている。
目に見えない存在たちは、いつも何かを私たちに伝えようとしています。
お礼であったり、励ましであったり、それはさまざまな声ですけれども、感謝の想いや、高い波動を持つ存在のその発したエネルギーは、たとえそれが不思議なシチュエーションで起きたとしても、どれも決して怖いものではなく、私たちが自然に受け止められるものとして伝わります。
もし、何かを感じた、そしてそれが穏やかな温かい感触を持ったエネルギーだったり、その現象を見たり感じたりしたときに心地よさを感じたら、それは大切な存在からのメッセージだと思って大丈夫です。
そして、そのようなことは、普通に起こることなのです。
肉体を持っているか、持っていないか、その違いだけで、私たちが普段放射している想いのエネルギーと同じものを伝えてきているのです。
高い波動のエネルギーを感じたときは、そのエネルギーを受け取る私たちの波動も高くなっています。逆に言うと、私たち自身が高い波動のエネルギーを放射していないと、良きメッセージを受け取ることができない、ということでもあります。
高い波動を放射するためには、私たちが良き想いを持っている必要があります。
良き想いとは、例えば楽しい、嬉しい、美味しい、きれい、気持ちいい、ワクワクする、憧れる、感謝する、といった高い波動を持った想いですねぇ。
笑顔でいること、自分や誰かを褒めること、良き言葉を発すること。
そんなことが、良き想いをつくります。
生きていると、いろんなことがありますけれども、こんな想いをできるだけ持つようにすることが、私たちの人生を光に向かわせます。
不思議、と思えるような現象は今回のように、たまに起きますけれども、実は不思議じゃないんですね。私たちの脳が、目で見えることだけを信じている、そんな環境で生きているから不思議、と思えるのですねぇ。
この人生を幸せに生きるために、良き想いを持って、笑顔で生きてみましょうか。
いろいろありますけれどねぇ。^^
いつも、ずっと応援していますね。
ここに訪れてくださり、本当にありがとうございます。
今日も幸せです。
すべてに感謝します。