自分の過去世を視に行くことがあります。
何度も何度も転生をしてきている中で、恐ら
くイタリアだと思うのですが、修道院にいた
ことがあったようです。
大きな教会で、若い頃からそこにいました。
日々のお勤めは自分の性にあっていたよう
で、粛々と、それでいて楽しく過ごしている
姿がビジョンとして表れました。
そして、周りの人にも大変恵まれて、晩年
まで穏やかな人生を過ごしました。
なぜ修道女になったのか・・・。
それは、生まれ育った家の環境がきっかけと
なりました。
家族が物質欲などが強く、家族内だけでな
そのような想いを強く抱き、修道女として
生きる決心をしたようです。
これは、直前の前世ではなく、もう少し前の
人生ですが、これを裏付けるような経験もま
た、今の人生でしています。
仕事でヨーロッパに行った際、大きな教会に
立ち寄ったのですが、その教会に入り、祭壇
に向かって立った途端、涙が溢れました。
とても不思議な経験でした。
懐かしいような、心から嬉しい気持ちが湧き
上がったのを今でもはっきり覚えています。
これと同じことが先日もありました。
子どもの受験のためにカトリックの中学校
の学校説明会に行ったのですが、キリスト
教を基盤とした教育理念についての説明を
聞いていた際、やはりなぜか泣けて仕方が
ありませんでした。
そのとき、困ったことに、子どものことは
まったく頭にありませんでしたねぇ・・・。
(^^;)
不自然ですよねぇ。
学校説明会ですよ・・・?
恥ずかしいのですが、なんともなりません
でした。
そして、昨日、一昨日と「怒り」についての
記事を書かせていただいたのですが、これ
も、この過去世の想いを強く受けた感情から
だと思っています。
私の中に、小さな頃から「怒り」という感情
が非常に薄く、トラブルを極端に好まず、
人の心を常に感じ、言葉を選んでいたような
記憶があります。
こんなふうに、過去世は、現世に関わりを
持って現れてくるのですね(^^)。
私の場合、この「怒り」のエネルギーに
触れると、非常に弱い部分を持っているの
ですが、今世の課題のうち、この「怒り」の
エネルギーから逃げるのではなく、正面
から向き合う、ということがひとつ与えられ
ているようです。
この過去生では、結果的に「怒り」から逃げ
た形になっているのですものね…。
そして、また、この「人生を神に捧げたい」
という想いは、不思議なことに、今世でも
感じています。具体的には、宗教的なこと
ではなく、目に見えない意識、存在への
想いです。
ある時点から導かれるように急に現れた
不思議な感情です。
それがこの世、あの世の人々のなんらか
のお役に立てばいいなぁ、という想いに
つながっています。
不思議と、ある時点から物や食への執着と
いうものもなくなり、それと同時に目に見え
ない波動や感覚といったものがどんどん
強く感じられるようになったのです。
これは、過去世が今の人生に関係している
私1人の例に過ぎませんが、生きていく中
で、「あ、そういえば・・・」もしかしたらこれ
が自分の課題かも・・・と思われるようなことに
気付かれた方もいらっしゃるかもしれません。
自分の弱い部分、何度も何度も現れる現象
は、自分が逃げずに取り組む必要がある
こと、なのですね。(^^)
蛇足ですが、実は今世で、このときの
修道女仲間がいるということがわかりまし
て、いつかお会いしたいとメールでやりとり
をしました。
生きているって、不思議で、楽しいものです
ね(^^)。
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今日もお越しくださり、
本当にありがとうございました(^^)
明日も皆さまに、素晴らしい出来事が
たくさん起こります(^^)
ありがとうございます。
感謝します…。
では、また…
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林 真弓子